7月の下旬にとある飲み会を企画し開催しました。
この会は、以前上山温泉旅館組合の事務局長を長く務めた方が退職してから、その方を励ます意味で退職後数回開催されてきたものです。
コロナの影響で3年間開催がありませんでしたので、久しぶりとなりました。
この会のメンバーは、私が有馬館で旅館の仕事を始めたころからのお付き合いの方々で、旅館をしている人より、旅館と関係ない方の方が多い会になります。
以前は旅館をしていたわけですが、それぞれの理由で旅館から離れた方が多い会になります。
ですから、旅館の話はほとんどしないし、今では商売上の繋がりも何もないので、それぞれが気を遣う必要がない会になります。
30年も40年も前の話をしながらの会になりましたが、いろんな話で盛り上がりました。
一番盛り上がったのは旅行に行った時の話でした。
当時旅館組合では4月上旬と8月下旬の年2回毎年旅行をしていました。
そのために毎月積み立てをして旅行費用を用意していましたし、当時は団体の配宿や様々事業も実施していましたので、積立の他にも結構お金がありました。
今考えると本当にいい時代でした。
ですから、旅行では大変贅沢な思いをさせてもらいました。
また、その旅行ではアクシデントもつきもので、宴会場の舞台から落ちてしまった人とか、バスガイドさんをからかい過ぎて、一切のガイドを拒否されたこととか、話題は尽きませんでした。
そんな中でも那須温泉に行った時の話が一番盛り上がりました。
その当時ジェットコースターに乗ってみたいという意見が多く、那須ハイランドパークという遊園地に行くことになり、3種類のジェットコースターを制覇するということになったのです。
3種類のことは、私以外の人がそれぞれの思い出を話されていました。
私は上山市にあるリナ・ワールドでさえ乗ったことのないのに、乗れるわけがない、いや、絶対乗らないと園内を逃げ回っていました。
何せ高所恐怖症の私ですから、お金をもらっても乗りたくないと思っていました。
皆さんはその事を知っていましたので、何とか私を乗せようと考えていたらしいのです。
私は園内をあちこち逃げ回っていましたが、そろそろ帰る時間が近づいてきた頃、とうとう捕まってしまい乗る羽目になりました。
それも一番前で、真っ逆さまに落ちていくヤツで、生きた心地がしませんでした。
生涯最初で最後のジェットコースターでした。
その怖がる様子を皆さんが楽しんでいましたが、宿に着いてお風呂に行って鏡を見たら、両肩に真っ青なアザが出来ていました。
無意識のうちにジェットコースターの安全バーに、力いっぱいしがみついていたらしく、それで出来たアザでした。
その事をいまだに皆さん覚えているのにはビックリしました。
そんな話をしながら約3時間、あっという間の時間でした。
「次回はいつにする?」なんていう冗談も出るくらいでした。
何のしがらみもないと、こんなにも楽しいものなのかとつくづく実感する時間でした。
こんな会ばかりだといいのですが・・何かしら気を遣う会合が多く、中々楽しめない時間は長く感じますね。
まだまだ暑い日が続きますが、暑くでも、できるだけ冷たいものを口にしないでいると、体調には良いと聞きました。ご自愛ください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
お部屋食と温泉貸切風呂
くつろぎの宿 有馬館
館主 須藤 信晴