WBCワールド・ベースボール・クラッシックで日本が優勝して大変な話題になっていますね。
海外で活躍する一流選手をはじめ、国内のトップ選手が集合して快進撃を続け、とうとう優勝してしまいました。
最近では野球を見る機会が減っていて、大谷選手やダルビッシュなどの海外で活躍する選手はある程度知識がありしたが、国内の選手は全く知識がなく、どこの球団に所属しているのかさえ知らない始末です。
まあ、「巨人・大鵬・卵焼き」の世代ですから、元々巨人くらいしか知らないのですから救いようがありません。
この「巨人・大鵬・卵焼き」は、野球は巨人軍が圧倒的に強く人気があり、相撲は横綱大鵬関が強く優勝を重ね無敵、食べ物は誰もが卵焼きが好きという時代のことで、野球はテレビの放送があるのは「巨人戦」だけでしたし、今のように卵が簡単に手に入る時代ではありませんでしたから、おかずに卵焼きが食べられるのは病気の時かお祝いなどでした。
選択肢が少なかった時代という事ですね。
そんな中で小学校時代は友達と放課後や休日は毎日野球をしていた記憶があります。
5年生くらいからようやく自分のポジションが決まった記憶があります。
何となく縁の下の力持ちみたいなことに憧れて、目立たないけど要となるキャッチャーに憧れていました。
キャッチャーをするには少しお金が必要でしたが、どう親を説得したのか、自分で稼いだのか忘れましたが、キャッチャーミットとキャッチャーマスク、普通のグローブやバットも2~3本持っていたと記憶しています。
中学校に行ったら野球部に入ろうと思っていたのですが、部活見学の時にたまたま行った「柔道部」に見事にハマってしまったのですから人生何があるか分からないですね。
引き寄せられたというか、中学卒業後も、当時名門だった高校の柔道部に入り、あの地獄のような練習に耐え、特待生の同期が脱落する者もいる中でよく3年間続いたものだと今では思います。
もし、あの時柔道部に行かなければ、野球部に入っていただろうけど、それはそれで違った人生があったかと思うと、人生は本当に面白いものだと思えてきます。
中学の時、家に帰って両親に「柔道部に入ることにした」と伝えた時、父は「俺も柔道初段だ」と言ったのにはびっくりしたものです。
父は音楽の教師をして、その後旅館を継いだのですが、音楽の教師の経験を活かし、自宅でピアノ教室を開いていました。
そんな父が、まさか柔道初段だったとは、ビックリした記憶があります。
やはり何かに引き寄せられたのだろうと思っています。
2人いる息子も別に強制した訳ではないのに2人とも柔道をして有段者になってくれたことにも何かを感じる今日この頃です。
最後までお読みいただきありがとうございます。
お部屋食と温泉貸切風呂
くつろぎの宿 有馬館
館主 須藤 信晴